彼の記憶

12月1日

彼の子供時代

 

私の彼は、問題を抱えている。少なくとも問題を抱えていると思い込んでいる。

彼は自分で自分に、非常に強い暗示をかけてしまっているようだ。

だから、話してもらった。彼の人生の記憶を、少なくとも意識上に浮き上がらせることのできる、これまでの彼の人生を。ひどく断片的で、抽象的であいまいなところが多いが、彼が思う彼の人生は、このようなものだ。

 

子供の頃の彼は、ひどく、人見知りあったらしい。あまり、家族以外の他者と話した記憶がない、少ない。恥ずかしがり屋で、赤の他人の前になると、黙ってしまう。周囲からそうだったと教えてもらったのではなく(もちろんそれもあるのだが)自身、そういう状況の記憶がある。おむつ離れが遅かった、小学校1年生の時点でもおむつをしていた。用を足しているときは、カーテンにくるまり、隠れてしていた。気分がよかった印象がある。幼稚園の頃、クラスの女の子の、お尻にてを突っ込んでニヤニヤしていた。母親の耳や、肘をなめるのが好きだった。性的なことになぜかわからぬが、関心があったということだ。初めてのオナニーを経験したのが、小学校2年生のころ。当然、精子は出ないが、性的な快感は感じていたよいうことだ。テレビに映る水着の女性に興奮していたということだ。

学校の話をしよう、絵本を面白く読むのが得意で、休み時間に自分の机に、何人か集まり、みんなを笑わせていた。それが2年生まで。2年生でかれは、クラスで一番成熟していた生徒(4月生まれだ、ちなみに彼は出席番号は一番最後の3月生まれ)が率いるグループに入った、廊下で話しかけられたのを覚えていた。非常に活発でアウトドアなグループで、公園に行って野球をしていた。キャッボールくらいであれば、父親としたことがあった、もしくは、これがきっかけで始めたのかもしれない。

勉強はまあまあできていたらしい。ただそもそもこの時期の勉強が全くできない子供は少なそうだ。だいたいがまあまあできる生徒であったと思うので、特別できたとは、思ていない。夏休みの自由研究は、母親が書いたものを彼が丸写しにしただけだった。それが3年生まで続いた、毎年優秀賞に選ばれていた。自分の力ではないくせに、少し時な気持ちになっていたらしい。

三年生のころに、一度不登校になる。期間は不明。ある日遅刻した彼は、教室の中、みんなの前で、先生に怒られた。首をつかまれた記憶があるが、なぜか自信が持てないらしい。心臓がバクバクしながら、自分の席に戻った記憶がある。それ以降彼は、何度か、不登校を定期的に繰り返した。このころは、外では野球、家ではゲームもしていた。どちらに偏りすぎたということはないようだ、両方ともよくしていた。ただ、今思い返すと、一番楽しかったのは、比較的少人数で遊んでいるときだったと彼は言う。こうちゃん、なっちゃんの三人で、ドッジボールの特訓、亀ちゃんとふたりでゲーム、したのが楽しかった、といて言っている。

 

中学に入って、かれは、そのリーダー的な自分と同じクラスになる。彼はその人物のこと以上に尊敬していたみたいだ。彼がきっかけで、柔道部にも入った。とにかく、運動もできて、面白い彼は、完璧だったらしいのだ。そんな彼は、中学に入ったとたん、彼と距離をとりはじめたらしい。それはうすうす感づいていたらしい。登校も別々にしたらしい、あまり頻繁に遊ばなくなった。勉強は可もなく不可もなく、柔道は弱かった。大勢の人の前での試合では、頭が真っ白になった。明確に覚えているらしい。頭が真っ白になった自分を意識していたことは明確に覚えているらしい。3学期にはいったころか、彼は、その友人と何やらけんかをしたらしい、ここに関しては、ほぼ何も思い出せないということだ。ただケンカしたことが、クラスにバレた、少しからかわれた記憶がある、そして、唐突に、いやよく覚えていないが、登校拒否になった。はじめはその友人も、お見舞い?にきた。部活動の先輩も来た。先生も来た。先生には、嘘の理由をでっちあげて、泣きながら話した。委員長としてのプレッシャーがあった云々。ただ、おそらくは、と彼は前置きしたうえで、だれかが自分に会いに来るその状況がいやで、部屋に引きこもり始めたということだ。

引きこもりは2年続いた。その間、していたのは、漫画、ゲーム、絵描き、エロ本かってオナニー(再開した感じだ)、それ以外あまり覚えていないらしい。何度か、睡眠薬を買ってこさせ、部屋でバルさんを焚いて、自殺を図ったことがあるらしい。手首も切った。(切り傷程度ではあるが)。なぜ死にたくなったか、その当時はよくはわかっていなかったとおいうことだ。母親の尽力により、15歳位になる前に、部屋をでる。東京にある自立施設に移った。ここではいろいろなことをした。学校には行っていた。高校の定時制。お酒をよく飲んでいた。年にのわりによく飲めた彼は、よく年上のスタッフにのみに連れて行ってもらった。彼自身の、気に入られているとおもっていた。パチンコにもはまった。彼が15歳のころ、スタッフに連れて行ってもらい、たくさん勝った。それ以降彼は、お金があればパチンコ屋に行った。自分のお金でしたい思った彼は、弁当屋でバイトを始めた。厳しい店長だったが、1年続いた。店長には、自分の過去をすべて話していた。ただ一年たったある日、休みの日の店長の電話に出なかったことを、いじょうに気にして、翌日バックレてしまい、されに気まずくなり、完全にバックレた。最後電話で、店長と話した時、「まだ”治ってないんじゃないの”」と言われた。

その後は短期のバイトをしたり、親にお金をせびって、パチスロばかり、よくお酒も飲みに行った。学校は休みがちで毎年補修ではあったが、一応新旧はしていた。

 

とま高校時代まではこんな感じらしい、10代の頃が一番楽しかったとも言っている。もちろん今から見て。