彼の記憶2

彼は定時制高校に通っていた。クラスは不良系7割、引きこもり系2割といった具合(残りは高齢の方たち)。家をでた彼は、自立援助施設の寮に住んでいた。周りはみな、彼より年上だった。当然の成り行きで、お酒を覚え、パチンコを覚え、彼自身もそんな自分に心地よさを感じ始めていた。普通の高校生がしないことをしていると。学校では、2人だけ友達ができた。一人は不良ではないが、引きこもりでもない、もうひとりは、若干引きこもり系。一緒にライブに行ったり、飲みに行ったりもしたが、寮の方の友達と交わることはなかった。彼自身がそこに明確な線引きを施していた。なぜかわからないが、異なった二つの世界を融合させることに、違和を感じていた。定時制は夕方5時から9時までが授業なので、日中は暇になる。施設では、管集めなどのボランティア活動も行っているが、彼は早い段階で、そこをやめアルバイトを始めた。弁当屋。確かスタッフが見つけてきてくれた求人広告。前回も記したが、そこは結局1年でバックレてしまった。その後も短期、長期のバイトをいくつかこなしていた。稼いだお金はほぼすべてスロットに消えた(パチンコよりもスロットにはまっていた)。あとは強いて言えば、飲み代。彼女等できるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。定時制は4年で卒業なので、かれは、19歳になっていた。将来への考えなど何も持っていなかったが、なんとなく、大学進学した(お金は何の問題もなかったし、底辺であれば簡単には入れた)。一人暮らしも始めたが、すぐに学校には行かなくなった。認めたくはないが、みんなと友達になれる気がしなかった。ひとりでいる方が楽だった。彼にはどうも楽な方に流れて行ってしまう傾向があるようだ。夏も終わり、秋に突入したころ、施設のスタッフ(ずっと交流はあった)の紹介で、留学の話がくる。バンクバーにある留学エージェントで後になって知ったことだが、不登校のサポートなども行っているところだ。彼もそのプロジェクトの一人だった(その当時は意識していなかったようだ)。一度短期で、経験留学し、翌年の4月長期滞在を前提に、バンクーバーに留学する。州立付属のESLプログラム(ESLとは留学生向けの英語および学習技能習得プログラム)から彼の勉強は始まった。もちろん一番下のレベル。着実にではあるが、ステップアップし、2年かかってそこを卒業、そのころには、大学で授業を受けれる程度には、成長していた。その過程では、未成年の女の子に手を出して、怒られ、留学終了の機器もあったが、それも乗り越えた。いよいよ本格的に大学生活の始まりだが、彼はまた学校に行かなくなってしまう。彼は自分に自信がなかった。自身がないことが周知になってしまうことを異常なほど恐れていた。かれは逃げた。何度か、逃げて、また通い始めるのを繰り返し、気が付けば5年ほどたっていた。お世話になった、エージェントのお手伝いという形で、そこで働き始めた。実は学校もあまり言っていなかった彼は、単位をほとんどとれていなかった。ただ周りには、しっかり勉強している風を装っていた。ワークビザを習得し、そこで1年働いた。それないに重要なポジションについてはいたが、嘘の中で生きているようで、心休まるときは一度もなかった。常に彼には、自分が代替可能な存在でしかない、という思いが付きまとっていた。その日は突然やってきた。バレンタインデーのイベント後、何人かで、打ち上げの飲みが開かれていた。彼が、特に印象に残っていると語るのは、彼が目の前の友人に語り掛けたとき、それが完全に無視されたということだった。その友人に悪意があるわけもない。彼がその時感じたのは、自分の存在の弱さだった。ほとんど泥酔状態のかれは、以前のホームステイ先へ泊りに行った。そこでうるさかった彼らは怒られた。翌日昼頃目覚めた彼は、挨拶もせず、そこをでて、帰路に就いた。社長かれメールがあり、謝った方がいいよと言われた。彼は羞恥心でいっぱいになった。彼には、それが耐えられそうになかった。次の日には、また仕事に行かなければならない、そして、彼らに会わなければいけない、羞恥心がさらに上澄みされる、その考えから抜け出せなくなった彼は、逃亡を決意する。まず、社長に体調不良の連絡をし、時間を稼ぐ。その間、日本に帰国する便の予約をする。バンクーバーから帰国する場合、空港で待ち伏せされる可能性もあるので、いったんにトロントに行ってから、帰国するという手の込みようだった。日本に帰ったあとは、お遍路をしようと直感的に決めていた。最低限の荷物だけをもち、トロントに移動後、日本に帰った。家族や友人からのメールでいっぱいだろうと、気が気ではなかったが、一切を無視することに決めていた。日本に帰った後は、すぐ四国に行き、お遍路を実行、それも1か月ちょっとで終わってしまった。そのご東北で、農家のアルバイト、仙台で、すろっとで遊び、大宮へ移動、ネットカフェで、財布を盗まれ、歩いて銚子に移動し、また農家のアルバイト、免許センターで警察に見つかり、その後粘るも、お金が付き、2月中旬に、家に帰る。恥ずかしさでいっぱいだったが、空腹を利用し帰った感じだ。それから今2年がたとうとしている、何も起きていない。先日親戚の結婚式に出席したとき、世間と自分とのあまりにも歴然とした差に愕然としてしまった。普通ではない、その思いが、彼のこころを占拠した。

 

彼は、今の自分を自業自得だと考えている、まあ客観的に見てももちろんそうなのだが、そのせいで身動きが取れなくなっている彼を見ると、少しは原因をその外側に見つけてもいいような気がする、他人のせいにするというか。ただそれができなかったからこうなのだろう、あるいは、そうしていたからツケがが」回ってきたのかもしれない。

彼が一番うんざりしているのは、自縄自縛の自分にだ。堂々とも、こそこそともできない。どちらかの極に振れることさえできない。気持ちだけが先行して、体が、現実が付いてこない、その隙間にかれは真っ逆さに落ちていく。その谷間に底などない。かれは永遠に落ち続けている感覚なのだ。彼は眼をつぶっている、現実を見ないように、ただ目つぶることで、さらに苦しんでいる。彼の選択の天秤の上に載っているのは、良いことと悪いことではない。悪いこととより悪いこと。彼にできるのは、マシな方を選ぶこと。しかし、それで満足できるほど、かれのプライドは低くはない。彼にとっては、意識そのものが、存在そのものがうっとおしくてたまらない。二元論の中で、自分が、劣っている側にいることではなし、その価値基準そのものに違和を抱いている。しかし、考えれば考えるほど、そのシステムから抜け出すのは不可能な気がしてくる。結果、彼は、今存在していることそのものを恨むようになる。それを消せばいいのではないかと考えるようになる。どんどんネガティブになて行く彼は、行動を起こすことができなくなるのだ。