模写

文芸評論家としてスタートした柄谷先生が1990年代あたりに文学から離れてしまったのは、村上春樹の小説なんかそうだが、フリーセックス主義で、貞操観を喪失して、サイコパスになって、乱交とフリント、離婚と枕営業援助交際を繰り返す壊れた男女があまりに増えてしまったためだった。罪も恥も何もなくなってしまい、お金と肉欲だけが残った。文学は死んだ。

 

コンビニという、小さな箱とその周辺。そんな体にワールドを描いただけなのに、この作品には、小説の面白さのすべてが、ぎゅっと凝縮されて詰まっている。

 

現実を描き出す、それは小説が持つ特質であり、力だ。今に限らず、現実は常に目に区市。複雑に絡み合っているが、それはバラバラになったジグソーパズルのように脈絡がなく、本質的なものを抽出するのは、どんな時代でも至難の業だ。作者はコンビニという、どこにでも存在していて、誰もが知っている場所で生きる人々を厳密に描写することに挑戦して、勝利した。

 

セックス忌避、婚姻拒否というこの作者おおなじみのテーマをコンビニ人間という、コンセプトに落とし込み、奇天烈な男女のキャラを交差させれば、緩い文章もご都合主義的展開も多めに見てもらえる。巷には、思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者ぐらいたくさんいるので、風俗小説としてはリアリティがあるが、主人公はいずれサイコパスとなり、まともな人間を洗脳していくだろう。

 

田舎での偏見を警戒してもいるのだろう。語りては慎重に言葉を選びながら、自身の中に芽生えた志向と向き合っている。さらに震災体験がその中に織り込まれ、あの日を境に代わってしまった世界の心象を繊細に掬い上げることに成功している。

 

戦後まもなく場末の盛り場で流行ったお化け屋敷のショーのように次から次干支や捨てでえげつない出し物が続くような作品で、読み物としては一番読みやすかったが。この人の脂質は長編にまとめた方が重みが増すと思われる。

 

古い器を磨き、そこに悪酔いする酒を注いだような作品だ。社会や政治を呪うことさえできず、何事も身近な他人のせいにする、その駄目っぷりが随所に自己戯画化が施してあり、笑える。

この作者のどうせ俺はといった開き直りは、

手先の器用さを超えた人間のあるジェニュインなるものを感じさせてくれる。この豊饒な甘えて時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮である。

 

最初読んだとき妙な居心地悪さを感じた。その居心地の悪さは、作者の才能が細部に表れていないということだった。だが再度読み返した時、キリンと竜の入れ墨をいれたあと主人公がわけもわからず、生きる力を失っていく箇所を読んで、わたしの違和感はほぐれていった。突出した細部ではなく、破綻のない全体を持つ小説もあるということだ。

意識をひょげんすることは、無意識の境に踏み込みのに劣らず、厄介なことである。このような難儀の試みをあえて行う若い意志を私は、そうとして、前回の銃に引き続き、今回も評判の芳しくなかった、この作品を押した。

 

都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、刑して深刻にではなしに、あくまで都会的で軽味で描いている。

寄宿先の設定も巧みだし、特に、その家からまじかに眺め仰ぐ、多くの人間たちが行き来する外界の表象たる駅への視線は極めて印象的で、限りなく透明に近いブルーの中の、遅くに目覚めた主人公が、開け放たれた扉の向こうにふと眺める、外界の描写の正確なエスキースに似た、優れた絵画的描写に通うものがあった。

 

作者は、視線を研ぎ澄ますことによって、意識や理性よりさらに深い領域から浮かんでくるものと接触し、掬い上げるのだ。

 

作者は意識して偽物の緊張や、恥ずかしい小細工を避けたのだ。その結果、この作品は、何かが常に始まろうとしているが、まだ何も始まっていない、という現代に特有の居心地の悪さと、不気味なユーモアと本の技うかな、あるのかどうかさえはっきりしない希望のようなものを獲得することに成功している。

疲れる女といるより、アパートで牛乳を温める方がいい、というセリフは正統な欲望、欲求を持ちえない成熟社会の若い男の台詞として、象徴的だと思った。

 

ある何かを待ち続けてたたずむ女性は、現代を象徴していると思えた。

 

 

批判系

感情移入できなかった。現代を知的に象徴しているかのように見えるが、作者の意図や計算が見え透いていて、私はいくつかの死語となったことばを連想しただけだった。ぺだんちっく、ハイブロウといった、今となては、ジョークとしか思えない死語である。

 

私には現代の若者のピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解できない。選者のだれかは、肉体の毀損による、家族絵の反逆などと説明していたが、私には、浅薄な表現衝動としか感じれられない。

現代では他者が、必要以上の意味を見出いてくれる、浅薄なものでも、その裏まで深読みしてくれる他者のおかげで、自分が何か尊いもののように感じられることがあるものなのだ。

 

背景に主人公の幼いころからの被虐待という経験がもたらしたトラウマがある、ということになると話がいかにも分かりすぎて、作品が薄くなることが否めない。

観念としてではなしに、何か直裁なメタファを設定することで、この作者は将来、人間の幹部を探る独自の作品の造形が可能だと期待している。

 

彼の記憶2

彼は定時制高校に通っていた。クラスは不良系7割、引きこもり系2割といった具合(残りは高齢の方たち)。家をでた彼は、自立援助施設の寮に住んでいた。周りはみな、彼より年上だった。当然の成り行きで、お酒を覚え、パチンコを覚え、彼自身もそんな自分に心地よさを感じ始めていた。普通の高校生がしないことをしていると。学校では、2人だけ友達ができた。一人は不良ではないが、引きこもりでもない、もうひとりは、若干引きこもり系。一緒にライブに行ったり、飲みに行ったりもしたが、寮の方の友達と交わることはなかった。彼自身がそこに明確な線引きを施していた。なぜかわからないが、異なった二つの世界を融合させることに、違和を感じていた。定時制は夕方5時から9時までが授業なので、日中は暇になる。施設では、管集めなどのボランティア活動も行っているが、彼は早い段階で、そこをやめアルバイトを始めた。弁当屋。確かスタッフが見つけてきてくれた求人広告。前回も記したが、そこは結局1年でバックレてしまった。その後も短期、長期のバイトをいくつかこなしていた。稼いだお金はほぼすべてスロットに消えた(パチンコよりもスロットにはまっていた)。あとは強いて言えば、飲み代。彼女等できるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。定時制は4年で卒業なので、かれは、19歳になっていた。将来への考えなど何も持っていなかったが、なんとなく、大学進学した(お金は何の問題もなかったし、底辺であれば簡単には入れた)。一人暮らしも始めたが、すぐに学校には行かなくなった。認めたくはないが、みんなと友達になれる気がしなかった。ひとりでいる方が楽だった。彼にはどうも楽な方に流れて行ってしまう傾向があるようだ。夏も終わり、秋に突入したころ、施設のスタッフ(ずっと交流はあった)の紹介で、留学の話がくる。バンクバーにある留学エージェントで後になって知ったことだが、不登校のサポートなども行っているところだ。彼もそのプロジェクトの一人だった(その当時は意識していなかったようだ)。一度短期で、経験留学し、翌年の4月長期滞在を前提に、バンクーバーに留学する。州立付属のESLプログラム(ESLとは留学生向けの英語および学習技能習得プログラム)から彼の勉強は始まった。もちろん一番下のレベル。着実にではあるが、ステップアップし、2年かかってそこを卒業、そのころには、大学で授業を受けれる程度には、成長していた。その過程では、未成年の女の子に手を出して、怒られ、留学終了の機器もあったが、それも乗り越えた。いよいよ本格的に大学生活の始まりだが、彼はまた学校に行かなくなってしまう。彼は自分に自信がなかった。自身がないことが周知になってしまうことを異常なほど恐れていた。かれは逃げた。何度か、逃げて、また通い始めるのを繰り返し、気が付けば5年ほどたっていた。お世話になった、エージェントのお手伝いという形で、そこで働き始めた。実は学校もあまり言っていなかった彼は、単位をほとんどとれていなかった。ただ周りには、しっかり勉強している風を装っていた。ワークビザを習得し、そこで1年働いた。それないに重要なポジションについてはいたが、嘘の中で生きているようで、心休まるときは一度もなかった。常に彼には、自分が代替可能な存在でしかない、という思いが付きまとっていた。その日は突然やってきた。バレンタインデーのイベント後、何人かで、打ち上げの飲みが開かれていた。彼が、特に印象に残っていると語るのは、彼が目の前の友人に語り掛けたとき、それが完全に無視されたということだった。その友人に悪意があるわけもない。彼がその時感じたのは、自分の存在の弱さだった。ほとんど泥酔状態のかれは、以前のホームステイ先へ泊りに行った。そこでうるさかった彼らは怒られた。翌日昼頃目覚めた彼は、挨拶もせず、そこをでて、帰路に就いた。社長かれメールがあり、謝った方がいいよと言われた。彼は羞恥心でいっぱいになった。彼には、それが耐えられそうになかった。次の日には、また仕事に行かなければならない、そして、彼らに会わなければいけない、羞恥心がさらに上澄みされる、その考えから抜け出せなくなった彼は、逃亡を決意する。まず、社長に体調不良の連絡をし、時間を稼ぐ。その間、日本に帰国する便の予約をする。バンクーバーから帰国する場合、空港で待ち伏せされる可能性もあるので、いったんにトロントに行ってから、帰国するという手の込みようだった。日本に帰ったあとは、お遍路をしようと直感的に決めていた。最低限の荷物だけをもち、トロントに移動後、日本に帰った。家族や友人からのメールでいっぱいだろうと、気が気ではなかったが、一切を無視することに決めていた。日本に帰った後は、すぐ四国に行き、お遍路を実行、それも1か月ちょっとで終わってしまった。そのご東北で、農家のアルバイト、仙台で、すろっとで遊び、大宮へ移動、ネットカフェで、財布を盗まれ、歩いて銚子に移動し、また農家のアルバイト、免許センターで警察に見つかり、その後粘るも、お金が付き、2月中旬に、家に帰る。恥ずかしさでいっぱいだったが、空腹を利用し帰った感じだ。それから今2年がたとうとしている、何も起きていない。先日親戚の結婚式に出席したとき、世間と自分とのあまりにも歴然とした差に愕然としてしまった。普通ではない、その思いが、彼のこころを占拠した。

 

彼は、今の自分を自業自得だと考えている、まあ客観的に見てももちろんそうなのだが、そのせいで身動きが取れなくなっている彼を見ると、少しは原因をその外側に見つけてもいいような気がする、他人のせいにするというか。ただそれができなかったからこうなのだろう、あるいは、そうしていたからツケがが」回ってきたのかもしれない。

彼が一番うんざりしているのは、自縄自縛の自分にだ。堂々とも、こそこそともできない。どちらかの極に振れることさえできない。気持ちだけが先行して、体が、現実が付いてこない、その隙間にかれは真っ逆さに落ちていく。その谷間に底などない。かれは永遠に落ち続けている感覚なのだ。彼は眼をつぶっている、現実を見ないように、ただ目つぶることで、さらに苦しんでいる。彼の選択の天秤の上に載っているのは、良いことと悪いことではない。悪いこととより悪いこと。彼にできるのは、マシな方を選ぶこと。しかし、それで満足できるほど、かれのプライドは低くはない。彼にとっては、意識そのものが、存在そのものがうっとおしくてたまらない。二元論の中で、自分が、劣っている側にいることではなし、その価値基準そのものに違和を抱いている。しかし、考えれば考えるほど、そのシステムから抜け出すのは不可能な気がしてくる。結果、彼は、今存在していることそのものを恨むようになる。それを消せばいいのではないかと考えるようになる。どんどんネガティブになて行く彼は、行動を起こすことができなくなるのだ。

彼の記憶

12月1日

彼の子供時代

 

私の彼は、問題を抱えている。少なくとも問題を抱えていると思い込んでいる。

彼は自分で自分に、非常に強い暗示をかけてしまっているようだ。

だから、話してもらった。彼の人生の記憶を、少なくとも意識上に浮き上がらせることのできる、これまでの彼の人生を。ひどく断片的で、抽象的であいまいなところが多いが、彼が思う彼の人生は、このようなものだ。

 

子供の頃の彼は、ひどく、人見知りあったらしい。あまり、家族以外の他者と話した記憶がない、少ない。恥ずかしがり屋で、赤の他人の前になると、黙ってしまう。周囲からそうだったと教えてもらったのではなく(もちろんそれもあるのだが)自身、そういう状況の記憶がある。おむつ離れが遅かった、小学校1年生の時点でもおむつをしていた。用を足しているときは、カーテンにくるまり、隠れてしていた。気分がよかった印象がある。幼稚園の頃、クラスの女の子の、お尻にてを突っ込んでニヤニヤしていた。母親の耳や、肘をなめるのが好きだった。性的なことになぜかわからぬが、関心があったということだ。初めてのオナニーを経験したのが、小学校2年生のころ。当然、精子は出ないが、性的な快感は感じていたよいうことだ。テレビに映る水着の女性に興奮していたということだ。

学校の話をしよう、絵本を面白く読むのが得意で、休み時間に自分の机に、何人か集まり、みんなを笑わせていた。それが2年生まで。2年生でかれは、クラスで一番成熟していた生徒(4月生まれだ、ちなみに彼は出席番号は一番最後の3月生まれ)が率いるグループに入った、廊下で話しかけられたのを覚えていた。非常に活発でアウトドアなグループで、公園に行って野球をしていた。キャッボールくらいであれば、父親としたことがあった、もしくは、これがきっかけで始めたのかもしれない。

勉強はまあまあできていたらしい。ただそもそもこの時期の勉強が全くできない子供は少なそうだ。だいたいがまあまあできる生徒であったと思うので、特別できたとは、思ていない。夏休みの自由研究は、母親が書いたものを彼が丸写しにしただけだった。それが3年生まで続いた、毎年優秀賞に選ばれていた。自分の力ではないくせに、少し時な気持ちになっていたらしい。

三年生のころに、一度不登校になる。期間は不明。ある日遅刻した彼は、教室の中、みんなの前で、先生に怒られた。首をつかまれた記憶があるが、なぜか自信が持てないらしい。心臓がバクバクしながら、自分の席に戻った記憶がある。それ以降彼は、何度か、不登校を定期的に繰り返した。このころは、外では野球、家ではゲームもしていた。どちらに偏りすぎたということはないようだ、両方ともよくしていた。ただ、今思い返すと、一番楽しかったのは、比較的少人数で遊んでいるときだったと彼は言う。こうちゃん、なっちゃんの三人で、ドッジボールの特訓、亀ちゃんとふたりでゲーム、したのが楽しかった、といて言っている。

 

中学に入って、かれは、そのリーダー的な自分と同じクラスになる。彼はその人物のこと以上に尊敬していたみたいだ。彼がきっかけで、柔道部にも入った。とにかく、運動もできて、面白い彼は、完璧だったらしいのだ。そんな彼は、中学に入ったとたん、彼と距離をとりはじめたらしい。それはうすうす感づいていたらしい。登校も別々にしたらしい、あまり頻繁に遊ばなくなった。勉強は可もなく不可もなく、柔道は弱かった。大勢の人の前での試合では、頭が真っ白になった。明確に覚えているらしい。頭が真っ白になった自分を意識していたことは明確に覚えているらしい。3学期にはいったころか、彼は、その友人と何やらけんかをしたらしい、ここに関しては、ほぼ何も思い出せないということだ。ただケンカしたことが、クラスにバレた、少しからかわれた記憶がある、そして、唐突に、いやよく覚えていないが、登校拒否になった。はじめはその友人も、お見舞い?にきた。部活動の先輩も来た。先生も来た。先生には、嘘の理由をでっちあげて、泣きながら話した。委員長としてのプレッシャーがあった云々。ただ、おそらくは、と彼は前置きしたうえで、だれかが自分に会いに来るその状況がいやで、部屋に引きこもり始めたということだ。

引きこもりは2年続いた。その間、していたのは、漫画、ゲーム、絵描き、エロ本かってオナニー(再開した感じだ)、それ以外あまり覚えていないらしい。何度か、睡眠薬を買ってこさせ、部屋でバルさんを焚いて、自殺を図ったことがあるらしい。手首も切った。(切り傷程度ではあるが)。なぜ死にたくなったか、その当時はよくはわかっていなかったとおいうことだ。母親の尽力により、15歳位になる前に、部屋をでる。東京にある自立施設に移った。ここではいろいろなことをした。学校には行っていた。高校の定時制。お酒をよく飲んでいた。年にのわりによく飲めた彼は、よく年上のスタッフにのみに連れて行ってもらった。彼自身の、気に入られているとおもっていた。パチンコにもはまった。彼が15歳のころ、スタッフに連れて行ってもらい、たくさん勝った。それ以降彼は、お金があればパチンコ屋に行った。自分のお金でしたい思った彼は、弁当屋でバイトを始めた。厳しい店長だったが、1年続いた。店長には、自分の過去をすべて話していた。ただ一年たったある日、休みの日の店長の電話に出なかったことを、いじょうに気にして、翌日バックレてしまい、されに気まずくなり、完全にバックレた。最後電話で、店長と話した時、「まだ”治ってないんじゃないの”」と言われた。

その後は短期のバイトをしたり、親にお金をせびって、パチスロばかり、よくお酒も飲みに行った。学校は休みがちで毎年補修ではあったが、一応新旧はしていた。

 

とま高校時代まではこんな感じらしい、10代の頃が一番楽しかったとも言っている。もちろん今から見て。

模写する

 

身体の零度 三浦雅士

 

本書はタイトルの通り、「近代」という時代の成立の根源を、身体性の問題から探るもの。今日様々な形で論じられる「身体性」の問題を、「文明批判」「文化批判」といった切り口から。歴史的な観点に定位して取り上げられている。タイトルからも推測されるようにポストモダンの思想を背景に踏まえているものであるが、論旨は明快、論述はむしろ古典的で手堅いもの。豊富で適切な実例の

定時(文学作品からの引用、歴史的な文献からの引用など、うならせるものがある)と、念入りな先行論文の引用によって、こうした主題にあまりなじみのない読者も、十分楽しめ、また考える内容となっており、「身体論」を考える上でのかなり上質な入門書となっている。「身体加工」「表情」「動作」「舞踊」と、身体論の基本的な問題を順番に論じていくが、その論考の定点となっているのが、「身体の零度」という主題。「裸で何も塗らず形を変えず飾らない人間の体」というものを、標準の人間の在り方として受け入れるという、この身体の零度の成立が、この近代というものを形ずけるうえで不可欠であったという洞察が示された後で、この近代の成立と引き換えに失われてしまった体の回復の試みが現代の舞踊の在り方の中に探られている。そして、そのごは?展開のふくらみを期待させる、刺激的な施策の試みである。

続き

日本経済新聞

経済改革の全体を見据えた税制議論を

 

所得税=控除を引いた所得に課せられる税

    源泉徴収ともいう(会社がやってくれる)

    ただざっくりなので、帳尻合わせする、、これが年末調整、、、そうなんだ

法人税所得税の会社版 赤字の会社は納めなくてよい、わざと赤字にして、節税したりするやつもいるらしい

 

インターネットを経由してでの働き方など、現代の仕事は多種多様化している。

それに合わせて、所得控除を見直すようにとする提言が政府税制調査会から報告された。基本的には、高所得者の税負担を増やし、所得控除の上限を引き下げる(税収増やすチャンスを増やす的な感じかな)、その一方基礎控除は引き上げる(低所得者は若干助かるてきな)。高齢者の公的年金所得控除の引き下げも検討中、これは余裕のある高所得高齢者から、できるだけ絞りとろうな感じだ、これは医療介護、社会保障の財政が厳しいからだ。賃上げ企業への法人減税の拡充も検討しており、これにより、雇用を促進し、社会の活発化をねらって、税収増えればいいいなてきな。格差是正にもなるのかな。

 

要約というよりは、勉強会の様相を呈してきた。そもそもちしきがないので、よくわからないところは調べなければいけない。ざっくりと調べているので、理解の水準は低いだろうが、文脈の中で、関係性の中で調べるので、ただ漠然と単語として調べるよりも頭に入りやすい気がする、というか、勉強会になってる、ばかだー

 

日本経済新聞

知慇懃改革と残業削減を着実に

 

同一労働同一賃金や残業時間削減規制などの働き方改革は、審議が先送りされたが、企業は積極的に現制度や業務の見直しを進めるべきであるということだよ。現在は、同一の労働を行たっとしても、正社員と非正社員では給与に大きな違いがある。ボーナスにおいては特に顕著だ。重要なのは、その非正社員が現在増加傾向にあるということだ。この制度が導入されれば、非正社員のやりがいが高まり、また正社員の活性化も期待できる、ということだ。残業についても社員の健康にかかわることであり、仕事の効率化および生産性の向上によって時間を短縮していく必要がある。どちらも社員の将来を考えてのことだが、ひいては企業、社会、国にとってもよい影響を与えることが期待されている。

 

つっこみどころはたくさんありそうだが、まあまあまとまった気がするような、そうでないような、つながりはいいと思う。というか、こう自分で書いて自分で批評っつうのもひどいですね、ですね、って誰に向かって話してるのだろうか?

 

 

 

 

 

要約練習

文章力向上で検索をすると、様々な方法が見受けられる。

新聞の社説の要約+感想、模写、技術的な面でいうと、点などの使い方、分節等の仕組みを理解する等等。

 

感覚的に文章を書くことを理解できればいいなあという、完全に甘えた考え方ではあるが、まずは模写をして、自分でそれを書いた気になってみようと思う。

 

と思ったけど、それこそ自分だけでワードやらでやっとけよという感があるので、sれはやめて、新聞やネット上の情報に対して、要約や感想を述べてみようかと思います。ヤフーでいいか。いややっぱ社説で。

 

 

日本経済新聞

薬価算定ルールは費用対効果を基本に

 

厚生労働省が、現在医療費の2割を占めている、薬剤費の大幅な引き下げを検討している。基本的に新薬は、開発したメーカーが投資した費用を回収できるようある程度高く設定されるが、2年に一度見直しがあり、その都度引き下げられ、特許が切れ後発薬がでるとさらに引き下げられる、以前話題になった、ジェネリック薬品は特許が切れた薬品の後発薬ですね。

薬価の引き下げはメーカーの開発意欲をそぐ、頑張って開発しても、資金回収しにくしな―みたいな。ただ引き下げるのではなく、費用対効果の分析で適正な価格にすることが望まれる。メーカー側も開発力を高めることに注力すべきでもある、ただそれにしても政府が制度的な面で支援を行う必要がある。

 

やはり結局は政府の支援が重要になってくる、薬価を下げる場合は、そのリスク(メーカーにとって)を考慮し、適正な判断を下すために高度な分析が必要だし、ある程度リスクは致し方ないとして、それをメーカー側に受け入れてもらうために、制度面の支援も考えなくてはいけない。あちらを立てればこちらがたたずは甘えで、両方いい塩梅で立ててあげなければ。

政府が価格の引き下げを行いたい理由は、医療財政悪化を防ぎ、浮いた分余裕ができた分を他に回したからなかな(自信がない!)

 

ちょうど要約+感想が半分半分になった感じかな。

良し悪しは不明瞭だが、足りない頭を少しは使って考える感覚があり。当然だが司式不足は否めない。すごく否めない。

 

日本経済新聞

地方消費税改革に注文する

 

基幹税=税収に占める割合が多い税目

消費税8%中1.7%が地方税

2017年税収4兆6千万くらい(おおお)

 

基本的に地方消費税は最終消費地に税収として交付されるが、社会形態が変化するにつれて、見直しが必要になってくる。例えばネット販売、販売を行っている会社の所在地と、実際に商品が消費される場所には相違がある場合が多い。

それで、現在は小売販売額が中心の配分基準変え、人口の割合を増やす予定だ。

人口が多いところは税収が減るということだ。ここは当然合理的な説明が必要になる。政府頼むよ。

税収格差の是正が期待できるかもしれないが、地方自治体も、誘致などに取り組むべきである。

 

お互いできることはやらなきゃいかん、地方も国が助けてくれるのを待っているだけではだめ、生きる意志がない人を治療しても意味ない感じだ。

こう見ると、政府の仕事は、みなを「納得」させるのが非常に重要な仕事なんだなと思う、善悪、良し悪しはともかく、納得させることが重要(だますこともたまには、、)

 

 

えーとちょっと知識不足がひどく、人口の割合で交付額が変わる仕組みが全く分かっていないが、とりあえず書いた、不明瞭なくせに文章にするとは、おそらくこの時点でライター的には失格であろう。「理解」するとは、その基準とは一体何であろう、とかっこつけて考えている。

 

東京新聞

悪質クレーム 人の不寛容気になる

 

現在、悪質なクレーマーがよく話題になるが、約5万人を対象とし労働組合が実施したアンケートによるとなんと74%が被害にあったと報告している。暴言が最も多く、説教、脅迫などが続く。鉄道会社は駅員への暴力を報告している、加害者の半分以上が飲酒しているという、ちゃんと電車で帰るのはいいけど、気が大きくなってんだね。クレームは企業が成長するために重要なことではあるが、それをいいことに日常のストレスを発散しまくる人が多い。普段は大きな態度取れないから、状況が適していれば、それに乗っかって、気持ちよくなる人が多いようだ。人間はというと大げさだが、人を見下したり、上に立つことは結構気持ちいいもんなんだよなー、状況さえ、立場さえ整えば、人は結構簡単に変わるようだ。

 

これはあまり知識も必要ないので感想多めな感じでかける、心理を考察した深い文章をかこうとかっこつけようとする者の、言葉が浮かんでこず(語彙の問題か?)あさーい感じになる。まあ元がそもそも読みやすい

 

産経新聞

三菱マテの不正 背信を重ねた罪は重大だ

 

三菱マテリアルで、品質基準に満たない製品の出荷が発覚、自衛隊の航空機等もふくまれているので安全保障さえ揺るがしかねない、重大な問題だ。

他の企業でも同じような問題が発覚しており、日本自体の信用が低下している。

バレなきゃ大丈夫、という考えはだれでもある程度はあるはずだが、日本人は比較的そそれが強いのかもしれないか、隠すのがへたくそなのか、隠そうとしたことが大きな問題なのか、バレなきゃ大丈夫的なことはどんなとこでやってると思うけど、ばれたら大変。他人の目がなくなったとき、人は社会的に悪だとされていることでも、容易に行ってしまいがちだ、性悪説を信じたくなるます。

 

結構おもしろい、哲学的な問題に、映ることができる内容だ。個人の正義と、みんの正義は一致しないということ、通常は、みなみんなの正義を基準に行動を決定していること、それには他者が必要だということ、ただその他者がときたますごくうっとおしいく感じること、そこから自由になりたいと願ってしまうこと、自由になったらなったで他人見てもらいたいと願うこと、繰り返し繰り返し、人は関係性の中にしか、自分を見出し得ないということ、自己幻想は他者の目を必要とすること、なのにそれがいやだということ、、、、こんな風にいつの間にか脱線しているということ、と必要以上に自覚的になってしまうこと。

 

日本経済新聞

「アンドロイド」の成功に学ぶ

 

みなも知ってる、聞いたことがある、あるいは利用しているアンドロイドが企画されてから10年目を迎えたということだ。

アンドロイドとはOSのことである、OSとは基本ソフトのことで、ウィンドウズやマックと同じもの。注目すべきは開発したグーグルの企業戦略である。

アンドロイドは、誰でも改良できるように開発され、通信機器が会社に無料で提供された。アプリの開発では、企業だけでなく、個人にまでは参入を可能にさせている。こうした、企業から個人にいたる幅広い人材の確保、それを可能にする柔軟なOSの開発、こうした戦略は、現在の世界的な競争を生き抜くうえで、日本の企業たちにとって学ぶべきものは多い。

 

簡易すぎるかな、感想ないしにしてみたけど、短いかな。